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今は小さくてもイケてる事業にしたい!正しく儲け続けるシクミを作るための備忘録

「好きな仕事」は、人生をキラキラしたものに変える

かーみーです。

先日書いたMatcherが、3/10にリアルOB訪問を行うらしい。

で、ありがたい事に「かーみーさんにOBとして出演してほしい」とウキウキオファーを頂いたので、テンション上げ自分の就活をふり返りつつ、「好きな仕事」を見つけて人生キラキラささせて欲しいな、ていうハナシ。

 

karmie.hatenablog.com

 

 

わたしは、地方出身である。石川県。

で、中学生のころ、テレビとラジオと雑誌が大好きだった。

 

ちなみに当時の石川県はテレビが民放2局、ラジオは民放1局(AMのみ。FMはNHKのみ)。ニッポン放送を聞きたくて1242に合わせるものの、平壌放送の方が電波が強く、この飢餓感が憧れを生んだのかもしれない。

 

中学生の頃から将来の目標は、「東京に行って、ギョーカイで仕事をする」だった。

 

そのためにはまずは東京に行く必要があったため、人並みに勉強をして、なんとかMarchの一番偏差値の低い大学の工学部に滑りこむ。工学部だったのは単に暗記する歴史や国語が苦手で、数学と物理が得意だっただけだ。

 

ただ大学に入ってからの成績は悪く、いつのまにかギョーカイに行く夢は忘れ、先輩の内定した会社を有名な順に並べ途方にくれていた。

 

そんな大学三年生の冬、自分の運命がちょっと動く。サークルのスキー合宿の宿に、実家から「フジテレビの人があなたに会いたいと。明日の朝9時に河田町に行くように」と電話がかかってくる。

 

記念で受けたセミナーの合否結果だ。大学受験なみの数千人を超えるセミナーで、まさか通るとは思ってもいなかった。

 

夜行で東京に帰り、徹夜でフジテレビの面接を受けた。マスコミは学歴重視だ。周りには早慶上智ばかりで、法政は私しかいなかった。

 

当時フジテレビが深夜放送していた「ウゴウゴ・ルーガ」「アインシュタインTV」というコンピュータを使った映像が好きで、「手で触らるようなバーバパパを演りたい」と面接のたびに繰り返し、採用枠10人のところ40人まで残ったところで落ちた。

 

悔しかった。あまりにも悔しくて、図々しいと思いつつ、人事部の方の最寄り駅で張り込み、マンションまでお邪魔して、落ちた理由を散々お聞きした。今となれば笑い話だが、その時にちょっとだけ人生がキラキラした。

 

 

その他の媒体社や広告代理店はひたすら落ちまくるわけだが、なんとか滑り込んだのが、アスキーという出版社だった。憧れの媒体社や代理店と仕事がしたくて、配属先は営業部だったが、となりの宣伝部の部長に頼み込み、宣伝部で仕事をする事になる。

 

電車の中吊り、新聞広告、ラジオ、テレビ、イベント、タイアップ、小さな会社なのでなんでもやらせていただいた。仕事への小さな自信も生まれ、「キラキラ」がちょっとだけかたちになった。

 

以上が、自分の就活の思い出だ。あの夜、自宅マンションで話を聞いてくれたフジテレビの方がいたから(確か稲葉さんという方だ)、自分は好きな事を仕事にする事を決めることができた。

 

週末のMatcherイベントで、少しでも誰かのキャリアの役に立てればと思う。